――O mundo que a bruxa do otimista criou.
+月暦
03 | 2024/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 |
+連結
+筆者
HN:
ロヴィーナ
性別:
女性
職業:
睡眠学生
趣味:
空想
+来訪
+解析
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
私の『明日』は一体いつのことなのでしょう、自分でもわかりません。
こんにちは、本来は忙しい年度末でも自堕落なろびーなです。
バイト、結局なかなか店長に話せていないという……。
覚えることが多い職場ですから、やっと仕事を覚え始めたのにやめるのは申し訳ない感もあるんですよねー。
まぁ、申し訳ないとは思いつつ、仕事を続ける気はゼロなのですけれど。
正社員ではないし使命感もありませんので、ここまで精神と体力と時間擦り減らしては働けないです。
無責任は重々承知ですが、さすがに私も自分が可愛いですよ(ノ∀`)
あ、あと、大学の入学式やらなんやらの案内が届きました。
スーツ作りに行ったり、パンプスやらバッグやら買いに行ったりしなきゃならないなぁ……。
大学に入ってちょっと落ち着いたら、新しいバイトも探そうと思っております。
そうそう、ちょっと時間はたちましたが、卒業したことなんかを書きたいと思います。
卒業式は8日でした。
正直、朝学校に行っても、卒業アルバムに寄せ書きをもらっても、全然卒業の実感はなく。
胸に花をつけて、体育館の前に並んでも、全く緊張とかせず。
おまけに、私、間の悪いときに笑ってしまう癖があって……入場のときに笑ってしまいそうになって冷汗モノ。
いくら後輩に『先輩は生きる伝説ですよ、色んな意味で』とか言われても、最後まで伝説を残すわけにはいきません。
私はA組。
卒業証書の授与で、一番最初に名前を呼ばれるクラスです。
私の学校は、代表者一人が壇上に上るので、残りの人は返事をして起立するだけなのですが……。
『声が裏返っちゃったらどうしよう』とか変なことを考えてしまったせいで、感慨どころの話ではなく。
自分のクラスが終わって着席したところで、ようやくしんみりしてきました。
その後、校長先生が『私と共に改革の中に在った君たちを、私は同志だと思っています』と挨拶。
校長先生には、色々とお世話になったもので……ちょっとうるっときました。
まぁ、更にその後の教育委員会の方の挨拶で温度が下がったので、涙はまだ落ちず。
続々と続くプログラム。
PTA会長のおばさま(なぜか機械音声っぽい喋り方)の挨拶、来賓紹介(私の位置からじゃ全然見えない)、誰なのかよくわからない祝電(しかも2、3通どころか1通しか読まれずに省略)、プロトタイプな送辞(なんかこれ中学のときも聞いた)……
校長先生の挨拶のときの潤みは完全にひっこみ、泣き所を見失った状態に。
……とか思ってたら、やってくれましたよ、答辞。
結構独特な感じの答辞で、それだけでもちょっとキましたが、バックに流れてる音楽が卑怯。
『白い光のなーかにー』という歌い出しの有名な曲で、私、実はあれに滅法弱い。
最後のほうの『今、別れのときー』という畳み掛けは本当に卑怯です。あれはずるい。
なんだかんだで、いい3年間だなぁ……と思ってしんみり。
しかし、プライドが邪魔してどうも泣けません。ちょっと滲む涙を、黒いハンカチでこっそり拭ってみたりするレベル。
隣の子はぐっすぐす泣いてます。足元を見れば涙が落ちた跡なんかあったりします。
それを見て、余計泣けなくなる心と、勝手に増量される涙。
天下のもらい泣き女王とは私のことです。
が、切ないことに、涙が増量されるだけであって嗚咽なんかは出ません。
おまけに、『卒業証書授与式を閉式いたします』という挨拶でけろっと止まる涙。都合よすぎです。
まぁ、教室に帰る道すがら、ぼろぼろのぐしゃぐしゃになっているクラスの男子を見て、またひっそりもらい泣きしたんですけどね!
あ、最後、担任の先生への『3年間ありがとうございました』には、またちょっとうるっとしました。
しかし、泣けず。肝心なときに駄目な奴です。
ただ、ママンから謝恩会での様子を聞いたときには、部屋でちょっと泣きました。
3年間、私がよく遊んでもらっていた、数学のKという先生。
『私は、彼女がやりたいことや彼女の才能を潰してしまうなら、無理に数学をやらせたくはないんです』
後ろから膝カックンやらチョップやらを仕掛けると、出席簿でアタマに一撃の後、『お前は俺の半径2m以内に近づくな』と笑顔で言ってくださる、なかなかイカした先生でした。
大体は、ゆるーく許してべったりと鎌ってくださる先生が多かったので、きっちり反撃してくれるのが物珍しくて、よく遊びに行ったものです。
嫌われてこそいないだろうと思ってはいたのですが、そんな風に思ってくださってるとは思わず。
その先生、来年はもう退職なさるんですよねえ。
名簿を見て手紙でも書こう、とは思いましたが……それにしても、なんか寂しかったです。
親が死んだ後に、自分を慈しむような内容の親の日記を発見した……というベタな状況的な。あはは(ノ∀`)
そのほかにも、母は色々な先生のところに挨拶に行ったようでした。
私の名前を出すと、『ああ、あの課題は面白かったですねー』と盛り上がってくれた先生。
その先生は美術の先生で、面接練習のときに、『芸術作品と自然の美しさの最も大きな違いとは?』などの質問を連発して、散々いじめてくれた先生です。
他にも、最後の文化祭の劇でご一緒させていただいたりなんかして。
『N(わたくしです)の…』と言った瞬間に、『はいっ!』と直立なさった先生。
現代文の先生なのですが、3年間に渡ってずっと遊んでもらいました。ぽっこりお腹にチョップしたりとか。
担任の先生をして、『Nが先生を好きなのかと思ってたら、先生がNを好きなんじゃないですかww』と言わしめた方です。
人を暴力娘だと思っていたのは頂けませんけどね!不器用なりの愛情表現なのに(ノ∀`)
あと、部活でお世話になった先生とか、政治的な話でちょっと盛り上がった先生とか……色々。
担任の先生(3年間一緒でした)は、もう文句なく恩師ですが、他の先生方にも、本当に本当にお世話になりました。
友人たちややりたいこととの出会いも、3年間の生活の中ではすごく大きいですが……あの先生方との出会いも、大変なウェイトを占めてます。
自分では特に目立つ子でもないと思うんですが、先生方からは本当に可愛がってもらいました。
あ、書いたらなんかまた涙が出てきそうに……orz
4年後、胸を張って『頑張りました』と先生方に言えるような大学生活、しなくちゃいけません。
……さて、今月はあと何回更新できるか……自分でも楽しみです。
それでは、また(ノ∀`)
PR
つか、うん、いい高校生活だったみたいで何より。
そういう風に思うだけでも、先生たちにとってはいい恩返しなんだろうと美堂なんかは思ったりしたり(*・ω・)
素敵な高校生活だったよ。
次は大学生活だ…!w
もしキミがやめちゃうまでにシフトがかぶるときがあればよろしくね^^
君の声はよく聞こえます。
あの学校の先生は、いい先生多かった。大好きだって思える先生、たくさん居たなー
K先生が退職と聞いて、ちょっと寂しい気持ちになった。数学で大分嫌味な問題出されたり3年間大変だったけど(笑)
ま、これからも付き合ってちょーだい。
折角何かの縁で同窓の仲なんだから(ノ∀`)
自分を大切に。
社員は所詮コマでしかないし、『私が居なきゃ』という気持ちでやってるとつぶれます。
特に女性は男性用も重要視されていないのが、現実。
友人はそれを覆そうと、一線で戦ってます。
大会社(特に成金)では、事務系のOLなんざいつでも首の挿げ替えができる って態度できます。正社員になろうが自分を一番に考えてください。
体と精神がボロボロになった後の復旧の方がきついです・・・
ありがとうございます(*´∀`)
自分を大事にすることには定評がw
まったりゆったり頑張ります♪
生活が落ち着いたら、またお会いしたく!